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| 制 作 雑 記 <プロローグ> | ||
| 平成17年2月下旬 | ||
| 最近、夜泣きソバ屋では無く、焼き餃子屋が夜の夜中に軽トラックで近所を徘徊している。確かに、美味いかどうかは知らないが、ラーメン屋がそこかしこに店を開き、味自慢を競っている。そういう中、焼き餃子を売り歩く、これもアイデアなのか?? かつて深夜ラジヲを聞いていると、チャルメラのメロディーが北風に乗って聞こえて来たものだった。哀愁漂うそのメロディーと冬の夜の冷え冷えとした心が、思わず玄関の扉を開けさせるのである。 チャンチャンコをはおり、昌チャン帽を被っての完全武装だが、不精して靴下を履かずに出て来るものだから、何処か薄ら寒く所在ないのだ。 そんな、間抜けな格好を街灯の光が照らし出しているかと想像しながら、ラーメンをすするのである。いささか、侘しいようだが心にポッと火が点いたようで、冬も満更じゃ〜ないな〜〜と思うのだ。 昨年、父の通夜で古友のNと再開した。父の死という現実に直面しているのに涙が込み上げて来ることもなく、ただ坦々と、これを空虚というのなら、その空虚の中に浸っていた。齢八五ということで来るべき時が来たのだ。 弔問客も一頻りした時、旧友Nは現れた。思わず涙が溢れ、後から後から込み上げて来た。20数年ぶりの再開である。これも父の計らいか、父は生前ソロバン要らずで、殆ど暗算でことが済んだ。計算がやたら速かった。そんな父の企みなのか?何も死んでまで、と苦笑する。 Nは優しかった、彼には言いたいことが沢山有るだろうと思う。小生にも多少は有ったが、悪いのは小生なのだ。「申し訳なかった」この場を借りてただ只管、女々しいと言われようが、見栄も体裁も打ち捨てて詫びる。小生は現在もだが、年長者から嫌われて生きて来た。 そんな小生をNの父は可愛がってくれたのである。Nと喧嘩別れした後も、Nのことを考えないことはなかった。「あぁ〜、こんな時あいつだったら何て言うだろう?」とか「きっと、今の俺を見たら指を差して大笑いするだろうな〜〜??」とかである。 そして、Nの父のことも同様いやそれ以上に忘れたことなどなかった。多くの従業員を従え、鍍金工場の経営に奮戦している雄姿は、今も瞼に焼き付いている。 時代は冷酷であった。鍍金にはいろいろな薬品を使う、環境問題が問答無用で襲い掛かって来たのだ。町の工場に、どれらだけ戦う術があると言うのか?? しかし、怯むことなく戦っていた。が、新たな敵が襲い掛かった。“癌”である。何故Nの父なのか、辛い日々が続いた。Nも苦しんだ、小生はNとNの父に何も出来なかった。その後、Nとは喧嘩別れして、蟠りだけが残った。 先日、忙しい中Nが杯を傾ける時間を作ってくれたのである。本来なら詫び言の一つも言わなければいけないのだが、照れ臭くて面と向かって言えなかった。 懐かしさと彼の度量に甘え、嬉しく杯を重ねた。話は多岐に渡り、少年時代のこと、今の家族のことなど、取り止めも無く続いたのである。 長い年月を経てしまったが、Nに一つだけ報告をした。やっと世に問える製品ができたことである。本来なら、Nの父の墓前で報告しなければいけないのだろうが、甘えついでに話をさせてもらった。勿論、製品の評価は世の人々が下すことなので、それはそれで良いのである。 やっと、彼岸の茶屋でNの父にご挨拶ができるというものだ。これで長い年月、心の何処かに重く貼り付いていた澱のようなものに、一つけじめが付いたことと、この数奇な巡り合わせは一体誰の計らいか?Nの温さが北風吹き荒ぶ夜道で、心に新たな火を点してくれた。有難う。 と言うことで、持つべきは友だとつくづく思ったのだ。さて今回は、あのメッサーシュミットMe262の[V186] “ハインツ・ベア”なである。では考察を始めよう〜〜。 説明書やパッケージには“ハインツ・ベア”と書いてあるが、それはハンツ・ベア中佐という後にスーパー撃墜王(221機)になられ方が、一回だけこの機体に乗り、ついでに一機撃墜までやって退けた伝説と因縁のV186号機なので、それを称して“ハインツ・ベア”と呼んでいるのである。それにしてもケッチャップみたいな名前の人だな〜〜。 だけど本当はハイマト・シュッツァー(Heimatschutzer)、 祖国防衛機と言う呼び名を与えられた立派な迎撃戦闘機型で、Me262の中ではシリーズC−1aという型なのである。 即ち、Me262A−1a、W.Nr130186号機をプロトタイプとして、胴体後部にバァルター509A−2ロケットエンジンを搭載し、緊急出動時の上昇力向上と性急な迎撃を行えるよう改造を加えたのだ。 試作先行の機体では有ったが、併行開発中のC−3型がより注目されたため、結局試作一機のみとなった。この機体の特徴は、胴体後下部からロケットノズルが尾部まで伸びているのと、ロケット噴射における損傷を防ぐため、尾部の一部が切除されていることである。 まぁ〜トド詰まり、スクランブルを掛けてから迎撃体制に入るまでの時間が惜しいのであって、裏を返せばそれほどまで追い詰められていた証でも有るのだ。 Me262A−1a型は、全部で1,433機製造され、Me262の原型機から試作機まで、亜種はかなりの量に達している。これとて断末魔の混乱故の結果と見るべきであろう。 このMe262に付いては、多くの研究書が出版されていることでもあり、小生如き軽輩が、口を挟むことではないのであるが、何でも聞くところによるとヒットラー総統殿は、当初このMe262を戦闘爆撃機として、ご使用になられたとか?何故、戦闘爆撃機型なのか?何故この期に及んで……? 絶句である。細かい話はそれなりに有るのだろうが、それにしても………なのである。 |
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| 1944年の末に、JG7というMe262初の航空団が設立され僅か2ヶ月間で、470機以上もの連合軍機を撃墜したと聞いている。 44年といえば6月にノルマンディーの上陸があり、欧州戦線は投了へ最後の一手を打たれた状況下、いよいよ指し手返しが難しいこの時期に、この高性能機が果たすべき役割とは??? 電撃爆撃と称して、フランスに上陸したモンゴメリーやパットンの連合軍地上部隊を叩くことか?寧ろ、この時期大挙押し寄せている戦略爆撃機を時速850q以上という高速と機首に集めた30粍機関砲4門を利して、食い止めることではないのか?? 歴史に“もし”は無いと言うが、敢えて言わせてもらう。この時点で米軍の昼間爆撃機の1/3を撃墜していたら、米軍は爆撃を中止せざるを得ないだろう。 連合軍は、事実上の上陸作戦の失敗に追い込まれる恐れすらあったのではないか??かつてアイゼンハワーが「もし、半年上陸が遅かったら、連合軍は負けていたかもしれない。」と語ったと言う。 東部戦線の戦況もあるので一概には言えないが、かなりショッキングであることに変わりない。結果として、訳の解らない電撃爆撃などせずとも連合軍の足並みを乱し、進攻の速度を低下させる一因くらいになったのではないかと思える。 まだまだいろいろ言いたいが、恐らくこのMe262シリーズは、今後も制作することでもあり、今回はこれくらいにする。 |
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| では、製作履歴ということで記憶を辿ったが、これは無い皆無なのだ。但し、小学2〜3年生の頃、兄が作ったのを譲ってもらった。 勿論、塗装などして無いし、デカールも単に国籍章と尾翼にハーケンクロイツを貼っただけであったが、嬉しかった。兄から何か貰うということは、とても嬉しいことなのである。親から貰うのとは、まるで違う喜びがあるのだ。 従って、初物と言っても良いだろう。だがしかし、これも零戦やP51ムスタングと同様、模型屋さんで買うと、笑われるのではないかと思ってしまい、躊躇してしまうのである。 だから純粋なMe262Aシリーズを避け、このようにチョッと変わったものを買うのだ。今後も見えを張って、変わりものを買うのだろうか?? |
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