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| 制 作 雑 記 <プロローグ> | ||||||
| 平成15年4月初旬 | ||||||
| 先日とあるメーカーさんに行く途中、チョッとした簡易公園の紅梅白梅が満開で、周囲に漂う梅の香を満喫させてもらい得した気分だった。今年はキチンと寒い冬で、当初の暖冬予測を完膚なきまでに叩き壊した冬将軍に拍手を送りたい。 やっぱり冬はこう何と言うか、ピーンと張詰めた頭のテッペンからつま先に至るまで、痛く緊張した皮膚感覚が良いのである。 しかも、まだ夜も明け切らぬ風が吹かない早朝の、ようやく東の空が薄青色になり出した時の空気は、少しの揺れでも頬を刺し痛さよりも感覚の無さを感じさせる。 いわんや北風吹きすさぶ朝などは、耳が千切れんばかりの痛みが尚の事、冬の頑なさを感じさせるのである。 そんな風を切り裂くように立ち向かう、厭いはしない、喩えこの身が凍ろうとも、そして脆く崩れ去ろうとも、今はこの空気に浸っていたい。 今年は春が遅いとか、花粉症で大変だけど春は春なのだ。ま〜ぁ嫌な面も多々あるけど、暖かく気持ちも良いので由としている。 此処のところ、意識的に飲酒を減らしているので、夕食後興味深いテレビ番組でも無い限り、自室にこもり制作に勤しむ事が多くなった。 だが、家人からはオジサンの引きこもりと揶揄されているのだけれど、この心地よさを説明するのも往生しそうなので、馬耳東風と決め込んでいる。 それではそろそろ作品の話と行こう。今回の作品は何と驚き桃の木山椒の木なのだ!!小生が宣言していたアジア太平洋戦争における、各国の軍用機という命題から大いに逸脱している。 尚且つ、北アフリカなる僻地のジオラマ(ダイオラマとも言う以後ジオラマと称す)を制作する暴挙に出るとは、全く怪しからんのコンコンチキの大タワケである。 自らの宣言を何と心得る。真に不埒千万、そこに直れ手打ちに致すぅぅ〜〜<span lang=EN-US>(ここで片岡千恵蔵がキィッと睨み付ける)。 と言われても致し方ないのであるけれど、作ってしまったへへへのへ〜〜す・み・ま・せ・んでした。真に遺憾に存じます。以後、多々あると思います。何というか気分転換というか、目先が変わって良いというか困ったものだ。 とにかく、今後も作ることがあると宣言しておく。まぁ〜話を進めよう。そうでないとお詫びと謝罪を延々続けることになるからね。 ということで、それでは改めて今回制作したものはというと、泣く子も黙る旧独国(ナチス)の将に急先鋒、ユンカースJu87B−2スツーカ爆撃機である。 この低翼、単葉、単発、複座、爆撃機をR−2TROP(B−2TROPでもよいのだけれど)に改造し、ジオラマを制作することにした。 時代と場所の設定としては1941年頃の北アフリカとし、機体の塗装については後ほど触れるとして、グラウンドクルー5名、搭乗員2名の都合7名を制作した。 他にドラム缶3本、木箱(大)2箱、(小)1箱、工具入れ1箱、大型爆弾搬送機1台を制作、これらは機会が有れば後ほど触れることにする。 スツーカ爆撃機に付いて、インターネットの大辞林第二版より調べよう。“スツーカ爆撃機”で調べたところ「検索結果に該当するものが見当たりません。 キーワードを変更して、再度検索をしてみてください。」と出てきた。そこで“スツーカ”だけで検索してみたが、駄目なのだ。次にユンカースJu87で検索したところ、やはり駄目である。要するに、大辞林第二版には、載っていないと判断した。 それでは、簡単ではあるがご説明させてもらう。本棚より取り出したのは4冊、後で付帯資料として書いておく。 ユンカースJu87スツーカ爆撃機、最初にも書いたが低翼、単葉、単発、複座で全金属製逆ガルウイングが特徴の爆撃機、愛称のように呼んでいるスツーカとは“STURZ−KAMPHFLUGZEUG”だそうで、それを略しSTUKAと言う。 正式採用は1936春ということだが、実際には翌年にA1がラインオフした。この機の特徴はほぼ垂直に急降下して目標物に接近し、精度の高い爆撃を行うというのが謳い文句で、初陣はスペイン内乱、特に有名なのは、1939年9月1日のポーランド電激戦であろう。 これ以上の詳細は、付帯資料に書かれているので、書店巡り等して春を味わうのも一興と考える。 |
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| まぁ〜、いずれにしても超有名な機体である。チョッとした独軍機の特集をしている雑誌には、必ず載っていると言っても過言ではない。 さて、この機の制作経歴となるとこれは大変怪しい。小学1〜2年生の頃、兄に作って貰ったのか、兄が、作ったのを貰ったのか、スケールは1/100くらいだったろうか?? 勿論、色など塗って無い。地の色は、RLM82ライトグリーンだったと思う。ただ、デカール(転写マークと言った)を張っただけの物だった。 次は、明らかに小生ではなく兄が作ったものなので、本来は無関係なのだけど敢えて書いてしまうが、何と、プラモの地の色が赤ワイン色なのである。 これは子供心に衝撃的だった。何とドクドクしい色かと、スケールはかなり大きく記憶が定かではないが、1/50くらいはあっただろうか?これもうる覚えである。機体中央の大型爆弾が、投下できる優れものであった。 勿論、色など塗る分けが無いのである。機体全体が赤ワイン色に、デカールが独軍のバルカンクロイツだ。何と毒々しく扇情的か。 以後、現在に至るまであれほどのプラモを見たことが無い。その性かどうかは知らないが、兄が作るプラモは、皆、単一色になってしまい下面も上面も無いのである。 まるで冗談のようだが、あながち冗談でもない。因みに、マルサン社の1/50、零式三座水偵は全面黒一色に、タミヤ社のM48パットン(MMシリーズではない)、モーターで動き重量感が有り後部のエンジンパネルが全部開くスーパー優れものであった。 恐らくは、モノグラムの1/32M48パットンをコピーし、モータライズ化したのではないかと思われる戦車が有ったのだけど、それも全面赤一色に塗っていた。 他にも武勇伝は数多とあるが、これを書いていたのでは何時終わるとも知れないので、ここで止めておこう。 但し、兄の名誉の為に言っておくが、その当時、色を塗る行為そのものが大変なことで、筆やプラカラーに溶剤など買えないのである。プラモ本体を買うことで精一杯なのだ。 その上、色を塗ろうなどと考えただけでも途方も無いことなのである。そんな事をしていたら、小遣いなど幾等有っても足りないのだ。とは言え、色は塗りたい。だから、たとえ一色でも塗れる事が嬉しかったのだと思う。 大きく横道に逸れてしまったが、そんなところが経歴か??変な経歴である。但し、今述べた2機のJu87スツーカの件は、残念だが何れも社名が分ない。 そして今回、ハセガワ社製ということになるのだけど、小生としては、作っていないと考えるべきだろう。従って、今回が初めてとなる。 所謂、初物ということで縁起が良ければ良いのだが、それでは、本題の制作四方山話と行きますか〜?? |
次項に続く→
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