|
| 制 作 雑 記 <プロローグ> | ||||
| 平成16年10月初旬 | ||||
| 早朝、散歩をしているとコウロギなどの鳴声が、チョッとした草の茂みから聞こえて来て秋だな〜と感じ、休みの午後、買い物をしに近所の住宅街の角を曲がると、強烈な金木犀の香りが漂って来て、これまた秋だな〜と感じてしまうのである。 今年は台風がたくさん上陸し、日本の夏は大騒ぎだった。これで、地震でも来たらどうなるんだろうとぼんやり考えていたら、本当に起こってしまった。 この制作雑記というのは、大よそ二ヶ月くらいで書き上げているので、本文の制作部分を書いている時、本当に起きてしまい不謹慎なことを考えたと後悔している。 もっとも、小生如きが考えたからと言って、地震が起きるわけではないが、妙な符合が何となく嫌なので、ここの前書きを書き直した。 それが何かは言えないが、妄想だということを強調しておく、少なくとも大風大水の被害に遭われた方や地震で家やお身内を喪われた方々に失礼であると共に、心よりお見舞い申し上げます。 夏から秋にかけて、日本列島に雨をもたらすのが「秋霖」、所謂、秋の長雨である。台風シーズンと重なるので、例年ならさほど目立たないうちに小笠原気団の後退と共に無くなるのだが、今年は台風のお先棒を担ぐように、大雨を降らせる迷惑この上ない存在となった。 そもそも「秋霖」という漢字を見ても解るように、寂しく・冷たく・悲しげで、涙が瞼から留まることなく流れる様を想像するというか、マルチェロ・マストロヤンニが肩を竦め、伏せ目がちに見ている哀れな様を想像させるのである。もの憂げでアンニュイなのだ。 秋と言えば、ヴェルレーヌの詩「秋の日の ヰオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。」に始まる「落葉」(上田敏訳)を思い出されるところである。 有名なこの詩の全文をご記憶であろうか??「確か中学生の頃、覚えさせられたかな〜〜。」という貴兄のために後の詩を書いておく。 鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。 げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。 ついでに、ヴェルレーヌの原文をと考えたが、それでは嫌味になるので止めておこう。小生もこの詩が好きで暗記した。いつか、彼女ができたら公園のベンチで、もの憂げにこの詩を聞かせようと考えていたのだが、とうとうその機会に恵まれ無かった。 後年、学生時代の友人たちと飲んでいた際、とある友人が、デートをしている時ヴェルレーヌの「落葉」を呟き出したら、彼女も唱和して顔を見合わせ大笑いになったと言うのだ。 勿論、公園のベンチでのことである。誰も同じことを考えるもだと苦笑した。何処の公園かは聞かなかったが、きっと雰囲気の良い公園だと信じることにした。 もし、この詩文から、BBCがレジスタンスに宛てた“D−DAY”開始のラジオ放送だとしか思い付かなかったら??君はもう少しロマンスの心を育てるようにね。セーターの肌触りが恋しい季節である。 |
||||
|
||||
| 随分、間が開いてしまったが、それでは始めよう。今回は、米國海軍の戦闘機で、帝國海軍機を悉く海中に撃墜した、グラマン社製F6F−3型“ヘルキャット”である。直訳すれば“地獄猫”凄いネーミングだ。きっと、閻魔大王の飼い猫ではないかと思いたくなる。 グラマン猫族の中で、最強の中翼単葉単座戦闘機だ。その風貌は、周囲を圧倒する凄みと覇気がみなぎり、堅牢にして頑健な機体が発する脈動は、猛虎おも屈服させんばかりの力が漲る。自らを以ってヘルキャットと称し、太平洋の覇権を掌中に収めた、偉大なる猫なのである。 では、この獰猛な地獄猫の正体を解剖してみよう。まず、この凄いネーミングのヘルキャットから、何も猫がどんどん減っていくから“減るキャット”というんじゃないことくらい皆知っている。こういう馬鹿なことを言って喜んでいた子供時代であったが、今もそう変わらない。 このヘルキャットというのは、魔女とか意地悪な女、アバズレ女、鬼婆などの意味がある。地獄猫でも凄いのに魔女にアバズレ女、まぁ〜何とも宜しくないネーミングをされたものだ。 しかし、機体のできは、ネーミングといささか趣を異にするのである。むしろ、タフなスポーツウーマンといったところか? 女性のわりに、ガッチリして骨太の筋肉質、礼儀正しく慎ましいが喧嘩がめっぽう強い、遣ること成すこと汗をかかずに当り前のように、何でもこなす。だから、彼女が凄いことをしていても驚かれもせず、何時ものことよとクール、「彼女なら当然でしょ!!」という空気が漂うのだ。よっぽど凄いことをしても「彼女はできて当り前よ」といった按配で、取り付く島がない。 最近、こういう手合いが小父さんのいる業界にも増殖している。仕事ができればできたで、ネタミ・ソネミ・ヤッカミで良く言われないし、ミスをすれば「女だからな〜」と、これ見よがしに言われるのである。 男のジェラシーというものは、尋常ではないから大変だけど、ワーキングウーマンでやって行くなら行くで、腹を決めないとボロボロになるよ〜〜。何人にも見ているからね〜小父さんは…………。 こういうこと言うとお説教になっちゃうけどねえ〜〜。 |
|
||
| 話がそれてしまったが、グラマン社としては、1931年(以後19を省く)5月に海軍初の艦載用の戦闘機(航空母艦に乗せる戦闘機)、 XFF-1を納入したメーカーという名誉ある地位を維持していくためにも、良い艦載機を作り続けなければならないのである。 この31年というのは、海軍に戦闘機を納入する会社にとって、重要な事柄が決まった年なのである。第一、機体を全金属製にする。 第二、操縦席を風防で完全に覆う。第三、主脚が格納できる。の三条件である。但し、この時点では複葉機が前提であった。以後、壮絶な受注合戦を米国の大手航空機メーカーが繰り広げるが、概ねグラマン社とカーチス社の争いに終始するのだった。 期間は、31年〜36年半ば頃まで続くが、グラマン社は順調にF2F-1・F3F-1/2/3と正式採用機を輩出していた。37年に入ると30年代、フツフツと湧き上がりつつあった単葉機の話題が、いよいよ現実味を帯びて来た。時代は、移り変わるのである。 既に、陸軍などで採用していたセヴァスキー社のP35(海軍ではXNF-1という呼び名)、カーチス社のデザインbV5のP36、複葉機に固執して、出遅れ気味のグラマン社XF4F-2などが競作に参加した。 結果は、36年6月22日ブリュースター社(正式名称をバーレル・シェイプド・ブリュースター社という)のXF2A-1(ヴァファロー)が採用され、テストを開始した。37年12月正式にF2A-1として、栄えある単葉機最初の採用となったのである。 当然、グラマン社としてはゆゆしき問題であるが、神はグラマン社を見捨てなかった。蜘蛛の糸ほどの望みではあるが、繋がっていたのだ。 XF2A-1とXF4F-2とでは、飛行性能にさしたる差はなかったのである。これは、F2A-1がさほどの機体ではないということの裏付けでもあった。グラマン社は、XF4F-2を徹底的に見直し、設計変更と改修によりXF4F-3を完成させた。 これは、海軍を大いに満足させるところで39年8月、艦戦として認められたのである。ここに、初代“猫”の礎が築かれたのだ。しかし、F4F「ワイルドキャット」と、正式に命名されるのは41年10月のことだった。 グラマン社は、F4Fの後継機である次期艦戦を2000馬力級エンジン搭載の機体であると位置付け、開発をさらに続けたかったが、そこには幾つか乗り越えなければならない障害があった。 それは、海軍がボート社の野心作であるF4Uに夢中で、次期艦戦はほぼ決定だろうとさえ言われていたのだ。しかも、2000馬力級エンジンを搭載した機体である。 グラマン社としては真に面白くない。実際、競作が始まると、何を考えているのか疑いたくなるような、まるで海軍に喧嘩でも売っているかのように、当時航空業界で議論を呼んでいる戦闘機双発論を持ち掛け、海ものとも山のものともつかない、XF5F-1なる双発の戦闘機をぶつけている。「糞食らえ!!」とでも言いたげにである。 しかし、実際のところ次期艦戦の開発は、棚上げ状態になっていたというべきであろう。41年になるとF4Fを本格生産しながら、TBF「アベンジャー」の生産も始めなければならず、保険機的な機体開発に、真っ向勝負で付き合う気が本当に有ったのだろうか??また、何処までやれたかとなると、いささか疑問である。 ボート社のF4Uが本命視される中、言わば出来レースの様相を呈している競作は、F4Uが転んだ時を考え、おのずと設計は地味にならざるを得えないのだ。 この30年代半ばから40年代初頭に掛けて、各国が、次々と新しい考えの各種戦闘航空機を繰り出し、その性能を誇示していた時期でもあり、設計者はより野心的で高性能な機体を提案し、軍部はその野心を大いに評価した。 また、常に兵器とは“矛盾”が付ものであることを忘れ、荒唐無稽な仕様を突きつけては、設計者を大いに困らせた時代でもあったのだ。そういう状況下で、戦争は始まった。平時に予想した各種性能データは、机上の空論と化した。 それは、海軍の各戦闘航空兵器全般に言えることで、それまで光り輝いていたものが、一夜にして澱んで陳腐奇天烈、干乾びたカエルのように映ったに違いないのである。 この各も厳しい現実に、辛うじて答えたのは、グラマン社のF4F「ワイルドキャット」とダグラス社のSBD「ドントレス」くらいだった。 米國海軍としては、帝國海軍の零戦に挑み、2000馬力級エンジンに物を言わせ、一気に方を付けるべく、航空母艦で次期艦戦の離発着試験をして息を呑んだ。 F4Uは、前方視界不良により空母運用は不可と決定付けられ、艦戦としての正式採用は見送られたのである。本来なら、この時点で戦争は負けである。が、この米國という國は、ここからが違うのだ。 その底知れない工業力はあいた穴を見事に埋めるだけのみならず、余りある力で、とてつもない次期艦戦を太平洋に解き放ったのだ。しかも、保険扱いの機体をだ。 実はグラマン社として、保険機とは言え、又、忙しいとは言え、F4Fの弱点を洗い出し、2000馬力級エンジンを装備して、尚、運動性・上昇力・操縦性など、F4Fに見劣りしない機体の開発に、意地を見せるべく専念していたのであった。 例えば、F4Fで最大の問題であった、主脚幅不足から起きる着陸事故は、胴体に格納する方法を主翼内に移すことで主脚幅が広くなり、着陸時の安定性を大幅に向上させた。 また、F4Fを二周り程大きくした機体に、2000馬力級エンジンを擁しても、コックピットの周りは鋼板で覆い、キャノピー前面は防弾ガラスを付けるという徹底ぶりである パイロットの安全性を大前提に、F4Fの良い点と実戦で培われたノウハウを随所に配して、F4Uがもたついている間に、艦戦の確固たる地位を独占したのだ。将に、ボート社にとって、魔女以外の何者でもなかったのである。 F6Fは単に凡作機で、馬力と数で勝利したかのように言われているが、実のところグラマン社の傑作機なのである。 かつて、田淵捕手がライオンズでプレーしていた頃、広岡監督に「一見、凄いスライディングや回転して捕球するのをファインプレーと言うが、そんなのは本当のファインプレーとは言わない。本当のファインプレーは、何処に球が飛んでこようと平気で正面で捌くことだ。」と言われたそうである。 そのためには、瞬発力や捕球技術は当然のこと、打者の癖や自チームのピッチャーの癖や球種、キャッチャーの配球や構えなどあらゆる面を研究し、試合に臨んでは、それらを基に注意深く観察して機敏に対処していれば難無くできることで、これが本当のファインプレーなんだと言っていた。 到底凡人のなせる技ではない。また、そういうプレーを見た時、小生のような凡人はその奥にあるであろう、信じられない知恵と技と観察力と勘に思いが至るであろうか、否、無理というものである。 F6Fは、将にこのケースなのだ。安定性に優れ、操縦し易かったと聞く、米國とて人・金・時間と手間をかけ、パイロットを養成していることに変わりはない。 いずれにしても、速成である。そういうパイロットたちに必要なのは、操縦し易く、上昇力や運動性に優れ、多少のことならその馬力で無理が利き、柔軟なで乗っていて安心な機体である。ストレスを感じないことである。 これは、旅客機の話をしているのではない。ずば抜けた性能ではなく、全体をコンパクトにまとめ、平均性と目的性に絞り込んだ戦闘機なのである。世界にこんな艦載機、どれだけ有っただろうか?? ざっと米國海軍の艦載戦闘機の流れとF6Fに付いて書いたが、帝國海軍は真珠湾攻撃に際し、空母を発進基地とする従来の考えにない方法で成果を上げた。 その手法を二年後には完全に自分のものにし、その帝國海軍の艦船および航空機を“悉く”海の藻屑にしたのは紛れもなくグラマン社なのである。 巨大な工業力を背景に、グラマン社は良い艦載機を作ったのである。それが、名機F6Fと言っても過言ではないのだ。 |
||
| さて制作履歴だが……….?そう言えばマルサンの1/100シリーズ。そう、あの黄色いパッケージのあれをた・し・か………….?作ったような………………?くらいの記憶である。これも、うる覚えだが、少年キングの創刊号を炬燵で読みながら、作っていたようである。記憶が不鮮明で申し訳ない。 キットの話に付いて、キットは往年のモデラーならご存知、旧オオタキ社製1/48シリーズで、かなり古くから有るのだ。 小生のような小父さんモデラーにとって、伝説的なキットなのである。現在は、ハセガワ社から出ているキットが、決定版と言われているが、小父さんモデラーである小生は、伝説のキットに敢えて挑戦したのだ。 但し、伝説だけにやや綻びが見受けられるので、極力オリジナルの部品を使いたかったが、次の部品に関してハセガワ社の部品を使用した。 プロペラ・キャノピー・増槽・タイヤ(ホイール付き)詳細は、制作記文中で各部品毎に説明する。これは、小生の思い入れの発露であって、ビギナーの皆さんには決してお勧めしない。純粋に、旧オオタキのキットを作ることをお勧めする。 ついでに言うが、よく模型雑誌などで改造例や実機と違うと言って改修例などを掲載しているが、これらは「できたら良いね」程度のことと思っていた方がいいのである。 本当に違うのかも知れないが、実際その該当機の各部分を実測してキットの寸法に換算し直し、ここがこれだけこう違うとか、何センチ何ミリずれているとかをやってのことなのだろうか????「正確」と言えるのだろうか??? 写真の実機にはこれが付いているが、キットには付いていないというくらいが関の山で、ココが大きい小さい、ココが長い短いなどは実機をきちっと測ってから言ってもらいたいものだ。 誰だって良いものを作りたいし、格好良くいたい。自慢もしたい。記事を書く人が思い上がっているとは言わないが、時々嫌味に感じることがある。30年近く模型雑誌を買って来たが、ここ数年控えている。 小生もそうであったが、模型雑誌の記事は有り難い反面邪魔をする。ビギナーの皆さんは、読物は読物と割切って、多少寸法や搭載機器に違いがあろうが、無視して作って下さい。頭でっかちになると手は止まります。 小生も知識と技術の無さで、ギャップに苦しみました。その苦しみから救われるのは、詰らぬ知識をかなぐり捨て、一心不乱に作ることです。 たまに、“いろいろごちゃごちゃ”やっている人を見ますが、道が違うと思って見ているので気楽です。ビギナーさんは、素組でどんどん作って楽しんで下さい。 その内チョッと何かしたいな〜〜と思ったら、そこからが新たな第一歩です。口幅ったいことを言いました。話を戻します。 現在、オオタキ社は無くなり、同じキットをアリイ社(有井製作所)から発売されていた。筈なんだが、ホームページを調べていたら、アリイ社はマイクロエースと社名が変わっている。 ヘッドラインに「鉄道模型Nゲージのマイクロエースホームページへようこそ、6月10日より株式会社有井製作所は株式会社 マイクロエースに社名変更しました」とあり、全商品リストを見たら、プラモは何一つ見当たらないのである。 これはひょっとしてプラモの発売を放棄したの????小生は、ホビーショーとか大きな見本市やイベントなどは、ゴミゴミしているのが嫌で、ほとんど行かないのである。 だから、詳細は不明だけど、「売れないからかな〜〜」ということで、もしや旧オオタキ社製キットは風前の灯火か??? 旧オオタキ社製の1/48「疾風」なんかは、ハセガワ社から決定版が出ていても、フォルムと言うか、全体のまとまりと言うか、雰囲気良いんだけどね〜〜。 |
| インデックスページ |