掲載機の概要と製作雑記 




旧日本帝国陸軍
二式単座戦闘機 U型丙 (キ−44)“鐘馗”



データ

エンジン ハ−109型

離昇出力 1,520馬力 ×1

最大速度/高度 605Km/5,200m

航続距離/時速 1,200Km/400Km

乗  員 1 名
ハセガワ社製 1/48




      制 作 雑 記  <プロローグ>
平成13年9月中旬



  電車での移動というのは一定の時間嫌でも拘束されるか、かなり制約を受ける。そこで何をするか?



  大概、1.本・新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・携帯電話など(電車内では携帯電話のスイッチをOFFにしよう)の情報の受発信。2.寝る。3.CD・MD・テープなどで音楽を聴く。4.中吊り広告・外の景色などを漠然と眺める。5.その他。一応5種類に大別できる。問題は“1.の情報の受発信”である。



  最近電車の中で、“1.の情報の受発信”が気になる。果たして何をしているのか?




  何か良からぬ事でもしているのか、違うのだメール!!携帯電話で!!何を今更、珍しくもないと言われるだろうが、しかし、どうも気になるのだ。



 あの、親指でタッタカ・タッタカ、あっちこっち動かしているあれがである。大きなお世話だけれどね。



  そこで、小生たち若い頃はどうだったのか、ざっと今から30年位前、確かに携帯電話なるものはまだアトムの世界だった。



  しかし、オーディオ機器は既にICだLSIだって言っていたし、FM放送やレコードの録音がオープンリールからカセットテープに変った。



  ステレオは小型コンポ化し、好きな音楽を何時でも、何処でも、好きな状態で、ラジカセ・カーステ・ウォークマンで聞けるようになった。



  さすがに親指でタッタカはなかったが、電卓が登場した。見る見るうちに手のひらサイズになってソロバンが要らなくなった。



  「ソロバンもまともに使えない連中に仕事ができるのか!!」それは当たっていたかも知れない。と言っていた人たちも何時しか電卓を使っていた。



  小生は考えた。携帯メールはそのうち嫌でも、誰でも使うようになるだろう。だから今から親指を鍛えて、関節炎や神経痛にならないように心がけよう。せっかく新しい意思伝達手段が増えたのだから、面白上手に使えばいい。




  電車内でちょっとした口論が原因で人殺しをするのなら、老いも若きも男も女もメル友やって、一億総親指友達ごっこに耽るのも悪くはないと思いつつも、何となく引っかかている小生なのだ。「小父さんのハンドルネームは“親指トムだ”」などと考えている内に何時しか居眠りをしてしまった。



  今年は、梅雨入りしたと思ったら何だか開けてしまって、何となく不甲斐無い梅雨だった。この時期、塗装が乾きにくいものと相場が決まっていたのだが、ココ数年は電球を使った焼付塗装にしている。



  今年は特に大型の電球に変えたので乾きが早く、何だか急き立てられているようでぼやぼやしていられない。



  それとエアーブラシでの塗装は窓を開け放って行なうので、当然冷房などという近代兵器は使えず、扇風機と氷水とタオルの三種の神器を配し、ひたすら制作に専念する(単に作業部屋用のエアコンを買ってもらえないだけ)。



  もう一つの理由は、一旦冷房の利いた部屋に入ると、作業部屋に戻るのが嫌だ・嫌だ!!おそらくこの気持ち分かって頂けると思う。だから額や首筋から汗がポタポタ落ちても、三種の神器と共にひたすら頑張る。




  それにしても今年の暑さは一体どうなっているのか?八月になる前に夏ばてである。とにかく仕事帰りに“ビール”ナシではいられない。それではそろそろ本題に入ろう。



 今回は、旧帝国陸軍の二式単座戦闘機U型丙キ44「鍾馗」になった。これは友人のA君からのリクエストがあったから。



  それではまず「鍾馗」について、インターネットで大辞林第二版を検索した。



  「鍾馗」“しょうき”1.中国の疫病をふせぐ鬼神。唐の玄宗皇帝の病床の夢に鍾馗と名乗って現れ、病魔を祓(はら)ったので、画工の呉道士にその像を描かせたことに始まるという。



  濃いひげをはやし、黒衣、巨眼の姿で剣を帯びる。日本では五月人形や朱刷りにして疱瘡(ほうそう)よけの護符などとした。鍾馗大臣。




  2.旧日本陸軍の二式単座戦闘機。速度と上昇力を重視して大馬力エンジンを搭載。このように掲載されていた。



  2番目の意味についてはこれから話すとして、1番目の意味が命名の意味ということだろう。最近はあまり見かけなくなったが、小生の子供の頃は、五月人形と言えば「鍾馗」と「張子の虎」だった。いずれにしても強い神様のようだ。




 しかし、小生の父(戦時中、陸軍航空隊で九七戦と二式単戦に乗っていた)に聞くと「お父さん軍隊の時、何に乗っていたの?う〜ん“キよんじゅうよん”」という答えが返ってきたのを記憶している。



  要するに現場の人間にとって愛称など、どうでも良いことで日々生き抜くことで精一杯だったようだ。



 それも、そんな質問をしていたのは小学生位までで、その後は戦争に対する考え方の違いもあり、ほとんど話さなくなった。ただ、最近はもう少しきちんと聞くべきだと考えている。




 この二式戦闘機には単座戦闘機と複座戦闘機の二種類あり、複座戦闘機はキ45改「屑竜」。要するに昭和17年、単戦と複戦が同年に同時採用された結果である。因みに単戦は乗員が一名、複戦は乗員が二名、紛らわしが今回は単戦ということだ。



 モデラーの皆さんならご存知だと思うが、この前年に採用されたキ43「隼」と対照的と言っても過言ではない。



 結果論とは言え用法が180°違うと考えられる機体に対し、九七戦以来の巴戦を心情としてきたパイロットたちに、一体どのような戦い方を教育するつもりだったのか?



 また、どのような戦い方をさせるつもりだったのか?この矛盾を生んだ当事者に、質問したい。



 その当時、ヨーロッパでの戦訓はいろいろなルートでもたらされていたと考えられるが、実際、航空機を使った戦い方の体系作りには反映されていなかったということか?



 これ以上は結果論に基づいた一方的な考えを展開することになるので控えなければならない。



 ただ、ひょんな所から駒が出た。戦争も長引けば国力の差は埋めようもなくジリジリと押し戻され、ついに本土に於いて最終決戦が行なわれるに至り、敵重爆撃機ボーイングB29が高高度で大挙飛来するようになる。



 それに対し、とにかく迎え撃てるのは防空部隊に配備された二式単戦キ44「鍾馗」(以後キ44に略)しかないので防空戦闘の命令が下された。



 「いざ出陣だ!!」とばかりに大出力エンジンを搭載し、速度と上昇力を売り物にしたと持て囃されていたが、この新鋭機ボーイングB29に至っては、高高度10,000m位を縦横に飛びまわれるターボ過給器(排気タービン)付き、機体は頑丈で重武装、機内は完全与圧でエアコン装備と来ている。




 なかなか出番がなかったキ44にお鉢が回ってきた時、既に時代遅れの重戦に成り下がっていた。キ44では6,000mから上に行くのはちょっと辛い、それ以上は「上がるのがやっと」ということで、戦闘を行なうとなるとかなり厳しいのが実情だったようだ。



 そこで、高高度に到達するために涙ぐましい軽量化を行う(これはキ44のみならず日本機全般に言える事)。座席後部の防弾板を外し主翼の機銃二丁も外して、胴体機銃二丁のみの殆ど戦闘能力“ナシ”の状態で迎撃戦を強いられる結果となった。



 とにかく迎撃には向かうが、なかなか撃墜できない上に味方の損害ばかりが増えた。もはや満足な戦いができなのだ。そこで残る手段は敵爆撃機を待ち伏せして体当たりするいわゆる特攻である。



 これでは話にならない。しかし、中には突っ込む寸前に脱出し、パラシュート降下するつわものもいたようだ。



 そもそもターボ過給器とは、エンジンから出る排ガスを利用してタービンを回し、混合気を強制的にシリンダー内に送り込んで爆発圧力を高めるエンジンの補助装置のことで、これが高高度において有ると無いとでは大違いなのだ。



 まぁ〜子供が乗る三輪車と自動二輪位の差がつく代物で(ちょっと大げさか)、残念ながらキ44には付いていないというよりも、ターボ過給器付きの機体を当時の日本の工業力では難しくて、まともな物が作れなかった。



 しかし、そうこうしている内にそれもどうでもよくなった。既に形勢は傾きを早め、硫黄島の陥落に至ってこの最後のあがきも終わりを告げた。敵爆撃機に子分が一緒に来るようになったP51“ムスタング”だ。



 この時点で、おそらく天下無敵の“ムスタング”と言っていい状態だっただろう。だから、敵爆撃機に蝿の如く纏わり付きたくとも、その手前でみんな蹴散らされて戦にならないのだ。



 要するにこの護衛機の存在により高高度で飛ぶ必要が無くなり、飛行しやすい中高度での爆撃行が容易にできるようになったということなのである。




 結局埒があかないまま、“大東亜決戦機”(四式戦キ84「疾風」)と交代した。



 寧ろ、開放されたと言うべきか。そもそも運用思想も満足に無いまま作り、泥縄的使用を強要し、無為に多くの将兵を死に追いやったに過ぎなかったのは心が痛むことだ。せめて後世の我々がその愚行の極みを正確に認識しよう。




 小生、乗り物全般、特に航空機はどんな物でもと言っていいほど好きだが、しかし、複雑な気持ちにさせるのは旧帝国陸海軍の航空機である。



 飛行性能を追求するあまり、防火・防弾を軽んじたことは、有り触れた言い方で申し訳ないが人命軽視も甚だしいものだ。



 特別攻撃隊は論外として、通常の戦闘時においても飛行不能になるや自爆を常とし、人命を可能な限り大事にしようとは考えていなかった。おっと、横道にそれてしまいそうなのだ。



 ちょっと興奮してしまったがキットの話に行こう!!これはかなり古くから各メーカーさんから発売されているので、小生も何機か作っている。



 確か最初に買ったのは、三共さんのだと思うのだが?これはかなり記憶が曖昧だ。次がタミヤさんの1/72と1/50だろうか、これも小学生の頃なので何時ということが特定できないが、4〜5年生くらいだったと記憶する。



 それ以降はちょっと記憶が無い、だから今回で4回目のご対面ということだ。それにしても懐かしい。




どっちも重戦?








  次項に続く→



   


  
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