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| 制 作 雑 記 <プロローグ> | ||
| 平成16年8月初旬 | ||
| や〜や〜暫く、制作雑記を書く余裕を見つけることができず、半年が立ってしまった。ここに来て少し余裕ができたので、溜めてしまった制作雑記を書こうと思う。 さて、制作雑記というものは、模型を作る過程でいろいろ気が付いたことやそれなりの心象風景を書きとめたものである。では、この半年間の事件と言えば………、個人的なことで誠に申し訳ないが、父が他界したことだ。 イラクで日本人が拉致されたり殺害されたり、サッカーの試合で日本人応援団へ差別脅迫事件が起ころうとも、小生にとって父の死が最も深く重く支配した。 生前、父とは考え方の違いや生き様の違いなどで、殆ど喧嘩ばかりして、ろくな話もしていないのである。いざ、居なくなると表現が稚拙で申し訳ないが、胸にポッカリ穴が空いたようでやる瀬無いのである。 先日父の遺品を眺めながら「子供というのは卑怯ですよね」とポツリと呟いた。恐らく、これから本当の会話が始まるんだろう。 照れること無く、甘えること無く、見下されること無く、侮蔑することも無い、フランクで涼しい会話の始まりである。そんな会話で、ポッカリ空いた胸の穴を埋めようと思う。私が死ぬまでの間に…………………。 ということで、何もできなかった虚しさを背負った盂蘭盆会であった。 さ〜〜元気を出して、キットの話に行こう〜〜。今回のアイテムは、米國陸軍航空隊の攻撃機でダグラス社製のA−20G型“ハボック”である。 そうは言っても多分殆どの方がご存知無い、真空空白地帯にポツンと置いて行かれたような、決して試作機ではない、複座双発単葉高翼の量産機だ。 しかも、米國陸軍の分類では攻撃機とされたので、尚のこと知名度が上がらなかった。戦闘機でもない爆撃機でもない、何とも中途半端な存在である。 よく雑誌などで米國陸軍機特集と銘打って、十数頁に渡り写真が掲載されても殆ど隅っこに追いやられ、お義理程度に1〜2枚の写真があるといった扱いなのだ。 そ〜〜、有名機とは月と鼈、雲泥の差である。だから、G型と言われても何処がどうなのか、サッパリなのだ。恐らく、小生を含め殆どの方が同様の思いだろう。従って、型式の話をする前に、A−20から考えてみたい。 米國陸軍の分類法は、「B」なら“Bomber”で爆撃機、「P」は“Power”で戦闘機、「C」は“Carry”で輸送機といった具合に、最初のアルファベットがその機体の役割や使用用途を表している。 この辺から切り込んでいかないと納得が得られないだろう。そこで「A」は“Attack”で攻撃機、「B」でも「P」でもないのである。 歴史的には、1931年6月にフォッカー社のXA−7とカーチス社のXA−8の競争入札から始まった。その時の条件は、全金属単葉複座であったが写真を見る限り、カーチス社に軍配が上がったのは当然という気がする。 その後、YA8からY1A−8Aとなって、正式採用A−8Aが誕生した。これが、米國陸軍航空隊最初の攻撃機なのだ。 米國陸軍における攻撃機の仕様に付いては、先程も述べたように全金属単葉複座軽爆は複座以上)が条件で、その後この仕様が決定付けられた。 しかし、米國陸軍内部でも攻撃機をどのように使用運用するかは固まっておらず、何となく陸上支援として必要なのではないか?? その程度の感覚だっただろうと想像する。何ともモヤモヤして落ち着かないのである。恐らく、攻撃機とは直協機の色合いが込められていたのではないだろうか??そうすると少しハッキリするのだが?? それ以降、各社が各様の機体を設計するが、概ねダグラス社が制作したSBD−1の陸軍版、8A−1〜8A−5に代表されるような形体で推移した。 旧帝國陸軍に準えると、九七軽爆や九九直協の引込み脚版と考えれば、凡その見当が付くと思う。双発機になるのは、カーチス社が製作したXA14からである。 これは、旧帝國陸軍の二式複戦に似た機体で、流麗だが華奢な感じが平和な時代を感じさせるのだ。 このような機体に、37mm機関砲を装備していることが、いかにも平和な証拠なのではないだろうか………??これを境に以後、双発機が基本になる。 カーチス社のXA14はA−18に発展するが、次期攻撃機候補からカーチス社の名前が無くなっている。次期攻撃機も双発機でスターマン社、ノースアメリカン社、そしてダグラス社の三社が名乗りを挙げた。 これまた写真を見る限り、ノースアメリカン社かダグラス社のどちらかだろうと容易に判断が付く、最終的にはダグラス社の実績がものをいったのかも知れない。 この時点での名称はダグラス7Bで、ほぼA−20に近い形であったと言うよりも、原型機と考えるべき機体である。攻撃機として、ここまでの機体推移で10年近い年月が経過している。 時あたかも欧州がきな臭くなる中、ダグラスDB−7として仏國に輸出されるが、この時には原型機と異なり、機首部分をゴンドラ仕様とし、軽爆撃機然とした風格を滲ませているのだ。 |
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以後レンドリース法の基、英國やソビエト露國に“BOSTON T”の名前で輸出されるのである。 |
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