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P51ムスタング ショートストーリー




美しき可憐な舞姫


  P51ムスタング、とにかく凄いに尽きる。性能・フォルム・先進性、何を取っても非の打ち所のないレシプロ機、最終最後にして最も美しく洗練完成された機体だ。どれだけの賛辞を言っても言い尽くせない。そこで簡単で申し訳ないが、彼女の半生とも言うべきドラマを小生なりに振り返って見ることにする。

 彼女は生立ちから順風満帆の優良児でなく、むしろ時代と多くの人々に翻弄されつつ、世間の水に磨かれて大きく花咲いたと言うべきだろう。話は、彼女が昭和15 (西暦1940)年秋、カリフォルニアの青く澄んだ空に(アルバート・ハモンドの歌声が聞こえる♪♪)舞い上がったことから始まる。

 当時、航空機メーカーとしては駆け出しで殆ど無名に近いノースアメリカンなる会社で、しかも僅か120日足らずの急造ながら神は彼女に数々の試練と才能を細く繊細な体に吹き込んだ。まず、その類稀なる才能(航続性能)に着目したのは、米国から見て祖母とも言うべき英国であった。

 英国はバトル・オブ・ブリテンを何とか凌ぎ、大陸反攻への足掛かりを必要としていたのだが、英国のスピットファィアも独国のメッサーシュミットBf109同様、航続距離が大きな問題であった。攻守所を変えてと言うべきか?そんな時、実の父である米国で殆ど顧みられることのなかった才能あふれる娘に巡り逢う。それは将に歴史的巡り逢いに等しい偶然だったのだ。

 彼女は祖母に連れられ祖国を後に英国はリバプールに到着、すぐさま英国流の装備を施された。本来の華々しい戦闘機デビューではなく、祖母の発した命令はその才能を活かしての蘭仏海岸線の写真偵察や陸上攻撃などである。ま〜ぁそれにはそれなりの訳があった。

 彼女の低空域での素早さは英国軍関係者を驚かすに十分であり、草原を疾走する羚羊のごとき俊足は目を見張るものだった。反面、高高度での性能は中低域に比べ、話にならないものでその最大の理由は例のアリソン1710系エンジンにあり一概に彼女の責任とするのも酷な話である。

 昭和10〜15年当時(西暦19351940)、主な戦闘空域は中低域であり、高高度を意識するようになったのは、バトル・オブ・ブリテン以降といわれている。ともあれ英国名ムスタングT”は、その幼少時代を祖母の助けを借りて歩み始めたのだ。

 そもそも参戦に無関心だった米国であったが、英国及び連合国の惨状は自由主義圏崩壊につながり兼ねないと懸念を覚え、一方アジア太平洋地域での日本の中国に対する戦争行為で日米関係は険悪さを深めた。


 やがて戦争はヨーロッパに留まらず、日本側の一方的な戦争行為(仏領インドシナへの侵攻)からアジア太平洋地域に拡大波及して行った。既に時間の問題と言われていた日米関係は日本の真珠湾攻撃により本格戦争の状態となり、枢軸国に対し宣戦を布告、全連合国の旗手として、また、武器生産援助国として自国の武器を再点検したのである。



 P39・P40の姉たちの陰で翳んでいたこの哀しくも可憐で夢多き娘(シンデレラというべきか)に改めて気づくとともに、祖母の英国が命名した呼び名ムスタングを踏襲、祖国米国で遅まきながらのデビューとなった。

 しかし、ここでも彼女は華々しい戦闘機としてではなく、祖母の英国同様に写真偵察機としてのデビューだった。そして父はその娘に新たな攻撃機A36という急降下爆撃機としての任を課した。

 それは、米国陸軍が急降下爆撃機を保有していないことがそもそもの発端で、九九式艦爆のページでも書いたが各国各様の急降下爆撃機を保有する中、米国における急降下爆撃機といえばSBD−3ドーントレス爆撃機であった。

 米国海軍が開発した機体を後に陸軍は70〜80機程度購入し、実際使用した経緯がある。そういう訳で陸軍も本格的な急降下爆撃機を開発運用したいと思うようになり、スリムで俊敏な生まれて間もないムスタングにその白羽の矢が当ったのだった。


 そして不遇な少女時代を北アフリカ・地中海で過ごし、逆境にもよく耐えたが流石に急降下爆撃機は損耗が激しくその美しくも可憐な姿と自らの悲運の叫びをイタリアの青く澄んだ空に響かせながら哀しくも消えていったのだ。

 さて不遇の少女ムスタングのその後の運命は、祖母の心は、父の思いは、……………新たな鼓動が静かだが着実に響いていた。その響きは“パッカード・マーリン V-1650-7型”、もっと書きたいが後は資料が沢山出版されているので、書店に足を運ばれいろいろ探されるのも面白いと思うよ。


 平成138月初旬、製作雑記からの抜粋です。                                                                                                                                                          PAKKYより




        
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